■前文
私たち恵泉バプテスト教会は、1949年8月14日よりの信仰の歩みをふりかえり、さらに現在と将来にむかい、主イエス・キリストに従って、いっそういきいきと生かされるために、共通の信仰を確認し、以下のように告白する。
■聖書
聖書は神が人の手を通して示された、真理の言葉である。
旧約聖書は、イスラエルの歴史を通して語られた救いの約束であり、新約聖書は、イエス・キリストにおいて語られた恵みの約束である。
この旧・新約聖書66巻は、私たちの生命の源である。聖書以外の信条・教理・伝承・教権などは、私たちの信仰を拘束する権威は持たない。私たちは、信仰生活の規範を聖書にのみ求める。
■イエス・キリスト
イエス・キリストは聖霊によって処女マリヤより生まれ、神の国を宣べ伝え、いと小さき者に仕え、苦難を受け、ポンテオ・ピラトのもとに十字架の上で処刑され、死んで葬られ、陰府に下り、3日目によみがえられた。そのことにより私たちの罪のあがないとなり、罪と死と悪魔とに打ち勝ち、新しい生命を示された。そして40日後に天に上げられ、神の右に座し、今も世界と歴史とを支配しておられる。このイエス・キリストこそ私たちの主である。
■神
私たちは、聖書の示すイエス・キリストにおいてあらわされる父なる神が、創造の主にしてはじめでありおわりであり、全知全能であることを信じる。
その独り子、イエス・キリストをこの世につかわされた父なる神は、聖霊によって、義と愛と恵みとを示される。
■聖霊
私たちは、父なる神と、子なるキリストの霊である聖霊を信じる。聖霊のとりなしにより、私たちは、イエス・キリストを主と告白し、罪を認め、罪の赦しを与えられる。こうして、聖霊はイエス・キリストを信じる者たちを、新たに生まれさせ、ひとりびとりに賜物を与え、教会をつくらせる。
私たちは聖霊によって、この世の混沌と虚無から、愛と自由とに生きる者とされ、神の子たる栄光を望みつつ歩む。
■人間
神は人間を神のかたちにかたどって、神との契約に生きるものとして創造された。しかし、人間は神に背き、神との契約を破り、神の恵み、その義と愛に生きられず、地上の放浪者となっている。
私たちは、神がつかわされた独り子・イエス・キリストを信じることによって、罪が赦され、神と和解し、新しい契約に入り、隣り人と共に生きる。
■教会
私たちは、教会が御霊によって呼び集められた、キリストのからだであり、そのかしらはイエス・キリストであると信じる。
教会はイエス・キリストを主と告白し、主の委託を受けて伝道を為し、福音宣教の業をすすめる。私たちは、ひとりびとり、主にあってすべて平等であり、与えられたそれぞれの賜物と責任において教会の営みに参与する。そして私たちの教会は、バプテストの群れとして、互いに支配従属の関係をもたず、自主独立であるが、福音宣教において他教会との協力を惜しまない。
■礼典
私たちは、イエス・キリストを主と告白し、バプテスマを受け、教会の群れに加わる。そのかたちは、古き人が主の十字架の死と共に葬られ、復活と共に新しい生命として生かされることを象徴する浸礼とする。
主の晩餐は、イエス・キリストの十字架の死を記念し、それを象徴するパンとブドウ酒に共にあずかり、交わり(コイノニア)を形成する新しい契約である。
■主の日
私たちは、週のはじめの日をイエス・キリストの復活を記念する日とし、この日に礼拝を守る。
私たちは、主の日の礼拝に、聖霊によって共に集められ、霊とまこととをもって神を讃美し、祈り、御言葉に聴き、罪を悔い改め、感謝の献げものをし、神の恵みを共に喜ぶ。
私たちは、礼拝を通じて新たな希望と力とを与えられ、終わりの日を待ち望みつつ日々を生きる。
■生活
私たちの生活は、主の日の礼拝から始まる。
私たちは、神の恵みと赦しのもとにある人間が、人間として人間らしく生きることを祈りつつ、それぞれの生活の場において、イエス・キリストの証人となり、キリストにあって隣り人に仕え、悪や誘惑とたたかいつつ、地の塩・世の光として生きる。
■教会と国家
私たちは、イエス・キリストが教会の主であると共に、すべての権威・権力に対しても主であることを信じる。
すべて権威・権力を与えられたものは、公道と正義を行い、苦しむ者と貧しい者の生命と権利を擁護し、平和(シャローム)を求めてこれを負うべきであると信じる。もし国家がこのような神からの委託に背き、自らを小さな神々にしたときは、私たちは「見張り人」としての使命を果たし、とりなし、祈り、警告を為す。
戦前・戦中の疑似神に迎合し、むしろ受け入れた歴史をもつ私たちは、国家神道の復権を推し進める為政者に警告を発し、これに対峙していくことを告白する。
「私たちは、あなたがたの神に仕えず、またあなたの立てた金の像を拝みません。」
■終末と希望
私たちは、主イエス・キリストが、約束されたように、大いなる力と栄光をもって再び来られることを信じる。
そのとき私たちは、新しい天と地とを見る。キリストは、生ける者と死せる者とを審かれる。イエス・キリストにおける神の恵みに生きる者は、主が約束された終末を、畏れつつも、喜びをもって待ち望む。主よ、来たりませ。アーメン。
2008年6月8日改訂